有名人たちの活動 その1

治療とエイズに対する理解

今では、エイズに対する意識が高まりました。そして、少なくとも先進国ではより効果的な治療が生みだされるようになり、犠牲となる有名人は徐々に少なくなっていきました。

基本的に多剤併用療法で、治療は行われます。しかし完治や治癒することは現在でも困難となっているので、抗ウイルス薬治療は開始すれば一生継続する必要があります。

それでも1980年代と違い現在では、HIV感染と診断されても、適切な治療を受ければ通常の寿命を全うすることが十分可能となっています。

演劇が好きすぎてヤバイ人へ

治療開始

治療開始 アメリカ合衆国保健福祉省(US DHHS)の治療ガイドラインでは次のようにされています。

  • AIDS発症またはCD4値<350個/mm3未満の患者では抗ウイルス薬の治療開始するべき
  • 妊婦・HIV関連腎症・HBV重複感染ではCD4値に関わらず抗ウイルス薬の治療開始するべき
  • CD4値が350 - 500個/mm3の患者では抗ウイルス薬の治療開始を推奨する
  • CD4値>500個/mm3の患者では抗ウイルス薬の治療開始が好ましいか、任意で行う

※US DHHS Adult and Adolescent Guidelinesによる

憧れのブロードウェイ
あなたの希望にお応えしております。振袖 船橋 の販売・レンタル!

有名人たちの活動

エイズによる死亡者が減りましたが、有名人たちの運動は続いています。エルトン・ジョンや亡くなりましたが、エリザベス・テイラーなど様々な有名人がその立場を生かし、エイズに対する意識を高め、HIV研究のための資金を集めている。そして、レディガガなども非公開でケアホームを訪れたりしています。そして、セレブビリティである彼らの活動は、当初は「同性愛者の病気」とされたエイズに対する偏見を改善することに成功しています。

エルトン・ジョン

1980年代から1990年代初頭にかけて、彼の多くの知人や友人をエイズで亡くしたことから、1999年にエルトン・ジョン・エイズ財団(Elton John AIDS Foundation、EJAF)を設立して、1992年以降シングルの全収益を寄付するようになりました。そして、多くの資金を集めるためパートナーのデービッド・ファーニッシュ(David Furnish)さんとともに開始したイベント「White Tie and Tiara Ball」には、毎年多くのセレブビリティのスターが参加するビッグイベントになっています。。EJAFは1992年の創設以来、2億2500万ドル(約203億円)を集めて、55か国で資金を提供しています。EJAF英国支部のアン・アスレットさんは、故ダイアナ元妃、ウーピー・ゴールドバーグ、シャロン・ストーン(Sharon Stone)などの影響力に言及して、「有名人は自分の言葉で気持ちを込めて意見を言える。その発言力は絶大だ」と話しています。

エリザベス・テイラー

1984年頃から、エイズ撲滅運動に目を向けました。友人でもある、ロック・ハドソンがエイズにかかると、撲滅運動の為に裸足で出かかることになりました。1985年に研究財団AmFARを設立しました。そして、1991年にはエリザベス・テイラー・エイズ財団も設立して、彼女自身の病気が深刻になっても、定期的に慈善イベントなどを行っていました。1969年のアカデミー賞授賞式で着用したドレスを1999年にオークションにかけ、15万ドルをエイズ財団に寄付しました。た。

レディー・ガガ

故ジョン・レノンの妻で芸術家のオノ・ヨーコが主宰している「レノン・オノ平和賞」は2年に1度平和に貢献する活動を行っている人に賞金が授与されます。レディー・ガガは、すべての賞金をエルトン・ジョン・エイズ財団へ寄付するほか、非公式でインドのデリーにあるエイズに感染した子供たちのケアホームを訪問して、子どもたちにプレゼントをおっくり、子どもたちにエネルギーを与えて子供たちを勇気づけました。

マジック・ジョンソンの活動 -----1

1996年にNBA50周年を記念した「歴代の偉大な50人の選手」にも選ばれ、2002年には殿堂入りし彼の背番号の32番は永久欠番にもなっている、まさにアメリカのバスケットボール界を代表するスタープレーヤーです。レイカーズのスタープレーヤーとして大活躍をしていました。

マジック・ジョンソンHIV感染

1991~1992シーズンの開幕直前の1991年10月に、生命保険の関係で健康診断を受けました。そして診断の結果感染が判明しました。念のため精密検査も行いましたが、結果は陽性でした。(マジック・ジョンソンの妻は感染なし)スタープレーヤーのHIV感染者は初めてでした。そして、医師の勧めもあり引退を決意することになりました。

引退発表

1991年11月7日に、ジョンソンは自らのHIV感染とバスケットボールからの引退を発表しました。この引退発表は全米で放映されただけではなく、CNNなどを通じて全世界がジョンソンのHIV感染と引退をほとんど同時に知ることになりました。その当時は、まだエイズに関する大衆の意識が低かったということもあり、ジョンソンのような著名人のHIV感染の公表は世界に衝撃を与えて、エイズに関する関心を高めることになりました。

金メダルとNBAへ復帰

HIV感染が発覚してから、運動や練習などを控えた生活を送っていましたが、その後の状態は非常に良好ということもり、プレーをしても支障がないことがわかってからはオリンピックのドリームチームで活躍し、金メダルを獲得しました。そしてNBAにも復帰を果たそうとしましたが、当時のNBA選手たちはHIVやエイズに対してとても無知だったので、マジックとの接触プレーで感染するのではないか?!という非難を受けることになり、復帰を断念せざるを得なくなりました。それから、マジック・ジョンソン自身がHIVについての数多くの啓蒙活動を行なうことによって、選手や関係者の理解も深まることになり、1995~1996シーズン中盤についにNBAに復帰することになり、レイカーズの選手としてプレーすることになりました。HIVに感染した人間がプロスポーツでプレーできるのは史上初のことになりました。