有名人たちの活動 その2

マジック・ジョンソンの活動 -----2

啓蒙活動

HIVへの感染を発表してからのマジック・ジョンソンは、エイズ根絶を目指した献身的な活動を続けています。当時の大統領のブッシュ大統領の招請によって、エイズ問題を扱う委員会に参加したり、機会があるごとにエイズに関する啓蒙活動に務めています。そして、自身の感染経路は特定できないものの、多数の女性と関係を持ち、心当たりのある女性には自らがエイズに感染している事を伝えると同時に、同性愛者では?という疑いを否定しました。

演劇が好きすぎてヤバイ人へ

啓蒙活動の他に、ジョンソンは実業家としても成功しています。エイズに感染しましたが、1990年代半ばに開発されたウイルス抑制のための抗レトロウイルス薬を使うカクテル療法を受け効果が出ているからです。そして、エイズという病気が初めて報告されてから30年を迎えるのを前に、ニューズウィーク(Newsweek)が行ったインタビューで自分の感染と生存には意味があると語っています。 「私に起こった事には意味がある。それは他の誰かを助けるということだ」

マジック・ジョンソン「My life」からの名言

『君には無理だよ』という人の言うことを聞いてはいけない。

Don’t let anyone tell you what you can’t do.

もし、自分でなにかを成し遂げたかったら、 出来なかった時に他人のせいにしないで自分のせいにしなさい。

If you don’t succeed, let it be because of you. Don’t blame it on other people.

多くの人が僕にも君にも「無理だよ」と言った。彼らは君に成功してほしくないんだ。

Some people don’t want you to make it, because they’re not going to make it.

なぜなら彼らは成功出来なかったから。 途中で諦めてしまったから。

They’ve give up, so they want you to give up, too.

だから君にもその夢を諦めてほしいんだ。不幸なひとは不幸な人を友達にしたいんだ。

As the saying goes, misery loves company.

決して諦めては駄目だ。

Don’t give up!

自分のまわりをエネルギーであふれ 、しっかりした考え方を持っている人でかためなさい。

自分のまわりを野心であふれ、プラス思考の人でかためなさい。

Surround yourself with people who are energetic and disciplined.

Surround yourselves with ambitious, positive people.

近くに誰か憧れる人がいたら、その人にアドバイスを求めなさい。

君の人生を考えることが出来るのは君だけだ。

君の夢がなんであれ、それに向かっていくんだ。

If there are adults you admire, don’t be afraid to ask them for help and advice.

何故なら君は幸せになる為に生まれてきたんだ。

Because you were born to be happy.

何故なら君は幸せになる為に生まれてきたんだ。

Because you were born to be happy.

by アーヴィン・“マジック”・ジョンソン

憧れのブロードウェイ

マジック・ジョンソン略歴

マジック・ジョンソンは、ミシガン州で生まれました。中学時代からずば抜けて背が高く、運運動神経も抜群でした。高校進学は、セクトン高校への進学を夢に見ていました。黒人がほどんどその学校は占めていて、そしてバスケットの強豪校だったからです。セクトン高校でプレーをしてスターになりたいと思っていました。

ジョンソンが高校に進学する数年前に、ミシガン州では「強制バス通学制度」ができました。この制度は、人種の融合を図るために、白人がほとんどを占める高校にある一定数の黒人を編入するというものでした。ジョンソンの家は境界線のすぐ外に位置していたので、名門セクストン高校に友人達と一緒に通えないうえに、遠距離の白人ばかりの高校・エベレット高校に強制的に通わされる羽目になってしまいました。

エベレット高校では、不自然な少数の黒人学生の編入によってトラブルばかりで、実際にジョンソンのお兄さんは、コーチと口論になったことがもとでバスケット部を辞めてしまいました。ジョンソンは、人種の壁が立ちはだかる中で、粘り強く周囲と交渉する術を学びました。そしてた誰よりも熱心に練習し、プレーして勝利をもたらすことで周囲に自分を認めさせることに成功しました。ジョンソンが4年生の時に、エベレット高校のチームは27勝1敗の成績をあげ、ミシガン州を制することになりました。今に残るニックネームの「マジック」は、1年生の時のジョンソンがある試合で36得点・18リバウンド・16アシストを記録するのを見た地元の新聞記者が名付けたあだ名です。このニックネームはミシガン州全域で有名になりました。

ミシガン州で有名になった彼の元へ、高校の卒業を控たときには、全米中の大学からの勧誘が殺到しました。その中で、州で一番のバスケットの強豪であるミシガン大学に進学するか。高校の時からよく出入りして練習に参加させてもらっていたミシガン州立大学のどちらに進学するか。または、全米の他の有名大学に進学するかをかなり悩んでいました。ジョンソンの学校の恩師、バスケット関係者の多くがミシガン州立大学の出身だったので、ジョンソン本人も地元のミシガン州立大学に行きたいと思っていました。ミシガン州立大学に新しくコーチとなったジャッド・ヒースコートに対して良い印象を持っていなかったので、余計悩みは深かったようです。ヒースコートは、コート上で選手を怒鳴りつけることが多かったので、ジョンソンはあまりいい印象を持っていなかったようです。ヒースコートがジョンソンの家を訪問した時に、「他の大学に進めば君はセンターとして起用されるだろう。しかし、私は君をポイント・ガードとして起用するつもりだ」と語り、ジョンソンの天分を見抜きました。そしてヒースコートがよく怒鳴るのも彼の情熱の現れだと知ったことで、ジョンソンはミシガン州立大学への進学を決めました。

ミシガン州立大学は、あまり強豪ではないチームでしたがジョンソンが入ったことで、1年目で25勝5敗の成績を残し、2年生の時にはNCAA(全米大学体育協会主催の男子バスケットボール大会)トーナメント決勝に進出し、ラリー・バード率いる無名校のインディアナ州立大学と決勝戦んを争い、見事ミシガン州立大学初のNCAAチャンピオンになりました。そして、1979年にミシガン州立大学を2年生で中退して、NBA入りしました。

少年時代から憧れの選手、アブドゥル=ジャバー、ノーム・ニクソン、ジャマール・ウィルクスといった名選手たちと共にレイカーズで先発ガードとしてプレーすることになりました。1年目からNBAオールスターゲームにも選ばれ、先発出場するなど人気も抜群で、18得点、7.7リバウンド、7.3アシストという好成績でシーズンを終えるなど評価が高かったが、新人王レースではラリー・バードに敗れました。

ルーキーシーズンを終えてのプレーオフで、フェニックス・サンズとシアトル・スーパーソニックスを退け、ジュリアス・アービング率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズと対戦したNBAファイナルで、レイカーズが3勝2敗と優勝に王手をかけていた時に、それまで絶好調だったチームの大黒柱、アブドゥル=ジャバーが第5戦で足首を捻挫してしまいます。アブドゥル=ジャバーが欠場した第6戦にポール・ウェストヘッド監督がジョンソンをアブドゥル=ジャバーに代えてセンターとして起用するという奇策を用いたところ、42得点、15リバウンド、7アシストという大活躍しました。それによってレイカーズが優勝した。当時まだ20歳だったジョンソンは、ファイナルMVPを受賞した史上唯一のルーキーとなりました。

子どもの頃に人種差別と闘いながら、バスケットボール界でスタープレーヤーとなり大成功をしたマジック・ジョンソンは、HIVに感染したことによりまた新たな偏見とも闘い続けています。そんなマジック・ジョンソンの名言だけに、心に響く名言ではないでしょうか。