マイケル・ベネットと劇団四季

『コーラルライン』(英題:A Chorus Line)はブロードウェイの超ロングランとなったミュージカルですが、初演は1975年でした。英語のタイトルにはAの文字がついています。なぜAが付いているかというと、マイケル・ベネットが新聞の劇場欄で一番最初に掲載されることを期待して、Aが付けられました。初演の1975年から1990年4月28日の千秋楽まで6137公演。その当時では、最長のロングラン公園の記録をたてました。ブロードウェイの『CATS』に抜かれるまでは、最長のロングラン記録でした。

そして、1976年のトニー賞では最優秀ミュージカル賞をはじめとした9部門を獲得しています。

日本では、劇団四季にようって1979年9月24日に初演されていて、劇団四季の中でも重要なレパートリーの1つでもあります。劇団四季がこの『コーラスライン』を日本で公演することなったきっかけは、安倍寧がニューヨークでこの『コーラスライン』を見て、劇団四季に持ち帰ったことがキッカケです。安倍は、劇団四季の中で企画・国際部門担当取締役で、上演権獲得の当事者でした。そして、マイケル・ベネットが北京訪問の帰りに日本に立ち寄るときに、浅利慶太とマイケル・ベネットが日生劇場のバーで会う事から始まりました。そして、会った翌日にマイケル・ベネットは劇団四季の稽古場に現れます。そして公演が迫っていた、『ウェストサイドストーリー』の通し稽古を観ます。マイケル・ベネットは劇団四季のダンススキルを把握します。マイケル・ベネットは自身もダンサーでダンサーとして初めて役を貰ったのが『ウエストサイドストーリー』の地方巡業の役だったからです。そして、劇団四季のダンススキルを見て浅利慶太に「あなたがたなら任せられます。是非私の作品をやって下さい。」と述べました。こうして、劇団四季が日本でコーラスラインを公演することが決まりました。

浅利慶太とマイケル・ベネットはNYでの打ち合わせを重ねていきます。17人一人ひとりのキャラクターについて直接説明をし、細部に渡ってマイケル・ベネットの表現上のニュアンスなどを伝えました。そして、マイケル・ベネットが全面的信頼を置いていたトム・マイケル・リードを送り込み、振付と演出を行いました。初演の4~5日前にはマイケル・ベネット自身も、良い仕上がりになるようにと来日しました。マイケル・ベネットもトム・マイケル・リードもエイズで亡くなりましたが、『コーラスライン』はメッセージ性の強いミュージカルでもあるので、不朽の名作としてこれからも劇団四季で演じられていくことでしょう。

演劇が好きすぎてヤバイ人へ

劇団四季について

年間3000ステージを超えるステージをこなし、俳優とスタッフは700名以上の日本最大規模の劇団です。『コーラスライン』などの海外ミュージカル作品の上演だけではなく、く、オリジナルミュージカルもとても人気があり、子供向けのミュージカルでも定評があります。劇団四季は、日本にミュージカルというものを定着させるのに大きな役割を果たしています。2013年(平成25年)3月時点で東京・名古屋・大阪・札幌に専用劇場を所有して、公演を行なっています。

専用・常設劇場

  • 東京都港区海岸:JR東日本アートセンター四季劇場[春](東京都港区海岸)
  • 東京都港区海岸:JR東日本アートセンター四季劇場[秋](東京都港区海岸)
  • 東京都港区海岸:JR東日本アートセンター自由劇場(東京都港区海岸)
  • 東京都港区東新橋:電通四季劇場[海](東京都港区東新橋)
  • 東京都品川区広町:積水ハウスミュージカルシアター四季劇場[夏](東京都品川区広町)
  • 名古屋市中区栄:新名古屋ミュージカル劇場(名古屋市中区栄)
  • 大阪市北区梅田:大阪四季劇場(大阪市北区梅田)
  • 札幌市中央区大通東:北海道四季劇場(札幌市中央区大通東)

専用劇場のある名古屋、大阪、札幌では、劇団員は、劇団も劇団員にもコストが掛かるホテル住いでなく、劇団四季専用マンションから通勤しています。

過去に常設・通年公演をしていた劇場

  • 赤坂ミュージカル劇場(現・赤坂ACTシアター)
  • 大阪MBS劇場(現・イオン化粧品シアターBRAVA!)
  • 福岡シティ劇場(現・キャナルシティ劇場)  常設公演終了後も使用中。
  • 京都劇場(京都市下京区烏丸通)   通年公演終了後も使用予定。

閉館となった専用劇場

  • 札幌:JRシアター
  • 東京:キャッツシアター五反田
  • 大阪・堂島:MBS劇場
  • 名古屋:名古屋ミュージカル劇場
  • 横浜:キヤノン・キャッツ・シアター
憧れのブロードウェイ

劇団四季の歴史

1953年(昭和28年)7月14日に設立されました。設立当初は、東京大学仏文科の学生(米村晰ら)と慶應義塾大学仏文科の学生(浅利慶太・日下武史ら)を中心として結成された学生演劇集団でした。最初からミュージカル劇団を志向していたということではなく、設立からかなり長い期間がストレートプレイ専門の劇団でした。これは、当時新劇界を席巻していたイデオロギー優先で演劇的な面白さを欠いた潮流に懸念を抱いた創立者たちが、演劇そのものの面白さを追求する劇団として創設したこととも関連しています。主にジャン・ジロドゥやジャン・アヌイらフランス文学作家の書いた戯曲を演じていました。劇団の精神的指導者は、創立メンバーにフランス演劇を教えた加藤道夫でしたが、加藤は劇団四季の成立直前に自死してしまいました。(若き日の三島由紀夫は、加藤道夫について「私は何の誇張もなしに云ふが、生れてから加藤氏ほど心のきれいな人を見たことがない」と毎日マンスリーで述べています)

四季株式会社設立

最初は学生からなるアマチュア的な色彩の強い劇団でしたが、やがて次第に職業劇団へと変化していきます。1967年に法人へと改組され四季株式会社となります。「四季」と名付けたのは、俳優・演出家の芥川比呂志(芥川龍之介の長男)です。(ちなみに、創立メンバーである浅利たちは、彼らが愛読していたT・S・エリオットの長編詩から着想を得て、「荒地」という劇団名を考えていました。若いときには「荒地」もよいが40になったときに「荒地」ではどうかとの芥川の指摘で、当時、フランスで活躍していた劇団・テアトル・デ・カトルセゾンから「四季」とした)。芸術性を優先することによって日本人による創作劇を連続上演して経営危機に陥ったり、生活を支えるためにアルバイトを優先する劇団員とそれを批判した劇団幹部の対立によって内部分裂の危機に見舞われたりもしましたが、安定した集客力をもつ高水準の芝居を上演することで、公演だけで法人運営が成り立ち劇団員も生活できる経営を志向するようになっていきます。

四季がメジャーへの転機

1971年に越路吹雪主演のミュージカル『アプローズ』をヒットさせます。この『アプロー』のヒットから、様々なミュージカルを上演しながら技術を蓄積していきました。そして、1979年に『コーラスライン』を上演したことが転機になります。日本の劇場は、月単位での契約のために、大ヒットを重ねても結局収益が限られる傾向がありました。劇団四季は専用劇場の確保を模索しはじめます。1983年に西新宿の都有地空地を借りテント張りの仮設劇場を設置。そして、『CATS』のロングラン公演に踏み切ります。『CATS』は1984年11月10日までの公演となりました。(山田卓振付)1985年、大阪市西梅田の旧国鉄コンテナヤードに設置した仮設テント劇場で『CATS』を再演して、13か月のロングラン公演を達成しました。

『コーラスライン』を上演するまでは、劇団四季の上演回数は多くても年19回で、年平均10回程度でした。しかし『コーラスライン』を上演した1979年は、前年の50倍の581回となり、『CATS』を初演した1983年は707回。それ以後一貫して上演回数が増え続け、2002年には2530回上演しています。そして、今では子供向けミュージカルにも力を入れています。

劇団四季の関連施設

代々木アトリエは1965年に渋谷区代々木参宮橋に落成しました。3階建て、約430平方メートルで、現在も稽古場として使用されています。その他にも関連施設があります。

四季芸術センター

2006年に神奈川県青葉区あざみ野に開所され、劇団を統括する四季株式会社の本社所在地にもなっています。

敷地面積・17,404.34平方メートル、延床面積・11,741.98平方メートル、地下1階・地上2階構造、従来の稽古場棟である南館と増設された新稽古場棟の本館の2棟から成り立っています。屋上には太陽光発電パネが設置されて、環境に配慮されている造りになっています。

芸術センターの主な設備としては、実際の舞台とほぼ同じ機構で稽古をすることが可能な大・中稽古場をはじめとして、さまざまな広さの稽古場が計10ヶ所あるほかにも、個人レッスン向けの研究室、ナレーション取りなどを行う音響スタジオ、衣装・床山部屋、食堂、トレーニングジム、医務室、マッサージ室、四季株式会社のバックオフィスなどがあります。

ほとんどの上演演目の稽古はこのセンターで実施されているので、劇団四季の中枢となっています。

配役の無い研究生は無給ですが、多くの劇団では有料で行われるレッスンですが、劇団四季は公演収益が有るので、研究生は無料で受講することができて、食堂も割引で利用できます。

四季演劇資料センター

長野県大町市に開所されて、資料センターには四季演劇資料館と舞台美術保管倉庫があります。

1996年に四季演劇資料館は開所されました。舞台模型・写真・台本・大道具・小道具・衣裳や関連する記録資料が展示されています。また、劇団四季のコマーシャルビデオが閲覧できるライブラリーも備えています。こちらの管理・運営は、財団法人舞台芸術センターです。

舞台美術保管倉庫は、約40000平方メートルの広大な敷地に、倉庫群から構成されています。これまでの劇団四季の演目の照明・音響機材、大道具・小道具・衣裳、様々な資料などが保管されています。四季芸術センターはじめ、各地とオンラインで結ばれいるため、コンピューター管理が行われています。